家庭料理をおいしくするのは、家族の「愛」
家族で食卓を囲むことが少なくなり、それが子ども達に負の影響を与えていると言われて久しい。また、日本の食が多様化し、偏った食事をする子ども達が増えている。そうした時代に、日本の家庭料理はどうあるべきなのだろうか?子ども達がおいしいと感じられる家庭料理とは、どんなものなのだろうか?様々なメディアで活躍する料理人・平野寿将氏にきいた。
僕は、両親と弟と祖母がいる5人家族の家庭で育った。だから母は、祖母のための料理、子どものための料理、父の酒の肴…というように、いつも5、6品の料理を作っていた。それは特別に母が料理が好きということじゃなくて、主婦としての自覚が、料理を毎日作らせたんだと思っている。昔の主婦は、家事に対してプライドを持っていたんじゃないかな?だけど最近は、家事という行為を被害者的にとらえる傾向があるんじゃないかな。
家事を夫と分担するのは良いことだけど、主婦が家事を苦に思うのはちょっと違うと思う。本来の家事は、母乳を子どもに与える心と同じで、母の愛から自然に生まれるもの。だってどんなに子どもを愛しても、父親は母乳を子どもに与えることはできないし、それができるのは母親だけなんだから。
たとえばイタリアの人達は、どんなに豪華なレストランで食事をしても、「マンマのパスタの方が美味しい」なんて言う。誰もが母親を自慢し、誇りに思ってることが伝わってくる。イタリアの主婦は、夫や子どものことを思ってキッチンも綺麗に片づいているし、もちろん家の中もきちんと掃除されている。だからこそ、夫も子どもも彼女達を誇りにしているんだろうね。
マザコンというとマイナスなイメージがあるけど、僕は堂々と自分はマザコンだと言いたいと思うね。僕は母親が大好きだし、これまで頑張って来られたのも、母親に喜んでもらいたいから。子どもに愛される母親、夫に愛される妻、裏を返せば妻に愛される夫が日本には少なくなったために、家庭料理の価値が失われてしまったんじゃないかと思っている。夫や子どもを愛していたら、おいしい料理を食べさせたくなるはずなんだから。そして、それを食べた子どもは、その料理を作った母親を誇りに思い、愛するはずなんだから。技術がなくても、包丁が上手に使えなくても、千や二千の料理はできる。おいしい料理を作るコツは、どれだけ人を愛しているかにかかっている。大好きな人と結婚した人は、料理が上手になるものだよ。
料理は、面倒な作業。それを毎日続けるためには、家族への愛が欠かせない。たとえば、焼きナスを作るとしよう。焼きナスは熱いうちに皮を剥かなくちゃいけない。すごく熱い思いをして、10分くらいかけて。でも家族は、それを一口で食べてしまう。そうした手間をかけても、おいしい焼きナスを食べさせたいという気持ちが、料理を上手にさせていくんだと思う。
家庭の味はプロには勝てない。
自分は料理を仕事にしているけれど、お金を払って食べる料理というのは、料理人の自己表現だと思う。プロの料理人が傲慢になっていくのは、そこに原因がある。
僕は幸いなことに、鬼塚勝也選手(プロボクシングの元WBAジュニアバンタム級世界チャンピオン)の専属料理人になって、彼だけのために料理を作り続けた経験があって、そのお陰で、少しは傲慢さが消えたかなと思っている。
毎日、彼の体調を気づかい、ハードなトレーニングの後に、いかにスムーズに食事をしてもらうかだけを考えていた。それは料理人というよりも、母親になることと同じ。最初の試合のときは、懐石料理の流れで料理を作って、毎晩スムーズに食べてもらえた。だから2度目の試合のときは、もっとクオリティの高い食事を食べさせたくて、栄養学を勉強して料理を作った。ところが、試合が終わった鬼塚選手に「今回の食事はきつかった」と言われてしまってね。「薬を食べてるみたいだった」と。僕は、あまりにも頭で料理を作っていたんだと思う。心が入ってなかった。
母親でも父親でも、子どもに料理を作るときは、体調や心理状態を思いやる心を入れて作るはず。子どもは、煮物や味噌汁など、家庭で食べるものが一番おいしいと思えるようでなくちゃいけない。外食のキンピラや肉じゃがをおいしいと思う子どもは、心の入った家庭料理に恵まれていないっていうことだと思うね。
幸せを感じる食事。
僕は、幸せを何回感じられたかに、人生の意味や意義があると思っている。生きるということは、喜びの積み重ね。辛いことは必然的にあるもので、お腹が減るのも辛いこと。そして、おいしい食事をするのは喜び。1日3回の食事、おやつも入れて4回、そのうち1回でもいいから、おいしい食事をしたという、小さい幸せを感じられたら、すごい数の幸せが積み重ねられる。
プロの料理人としてあえて言うなら、僕が作った10万円の料理を食べたお客さんに、10万円分の幸せがあるかと言うと、それはないだろうと思う。
あるとき、減量に苦しむ若いボクサーに、リンゴを食べさせたことがあるんだけど、リンゴを8分の1にかっとし、それをフグの薄作りのように切って皿に並べ、蜂蜜とレモンをかけた。全部で50グラムくらいしかないんだけど、見た目は皿に一杯。「こんなに食べていいんですか?」と言って食べ始めたボクサーの顔が、見る見るうちに高揚し、「これ、うまいっす!」と言った。
確かに、薄作りの技はプロだからできること。でもそれ以上に、減量に苦しむ若いボクサーを思う心が、リンゴを美味しい料理にしてくれたのだと思う。きっとボクサーは、リンゴ一つで幸せを感じたんだから。
バレンタイン・デーにチョコレートを作った経験のある女性は、たくさんいるでしょう。好きな人のために、お弁当を作った人も。その時の気持ちが大切。愛する人に喜んでもらいたくて作った、チョコレートやお弁当を思い出してほしい。
そうすれば、自然とおいしい料理が作れるはず。その料理が、家族を幸せにしてくれるんだから。
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