平野寿将  〜Hisama Hirano〜  2003年3月27日更新

相手のことを思いやって料理を作り上げる、これが寿将流料理の基本

<やったもん勝ちの空気が自己顕示欲の強い僕にはぴったり>

料理をはじめたきっかけは何ですか?

きっかけってないんだよね。なりゆきかな。10代の頃はやんちゃしてたから、高校卒業後に行ける学校が調理師専門学校ぐらいで、調理師専門学校に入っても、真面目に通わなかったから、学校から就職先を紹介してもらえなかった(笑)。

父親の紹介で、京都の料亭で働けることにはなったんだけど、何百年も続いているような老舗と、まだ30〜40年くらいしか経っていない新興の料亭のどちらかを選ばなきゃいけなくなったんだ。その時に新興の料亭の方を選んだ。新興の調理場を見たときに本能的に「こっちの方が向いているな」って感じたんだ。

普通、新人は雑用ばかりで包丁なんて触らせてもらえないんだけど、僕は運良く、2ヶ月目くらいで魚のうろこをはいで腹だけ切るっていう仕事を与えられたんだ。一日1000匹くらい魚が市場から入ってくるから、さばく量も半端じゃない。朝から晩まで下処理ばかりをしてその合間にこっそりおろしたりもしてみて、2ヶ月もたてば完璧におろせるようになっていた。3ヶ月目にはおろす担当をまかされたんだ。3年目に入って魚一匹さばけない連中がいる中で、僕は6ヶ月くらいで魚をばんばんおろした。おかげで、6ヶ月で給料が倍になった。 その時に「この職業は自分に向いているな」って目覚めたんだ。


<僕の料理の哲学に大きな影響を与えた母親の家庭料理>

料理を勉強していく中で、気がついたことは何ですか?

僕自身、母親と祖母の手料理で育ったんだけど、自分が料理人になってはじめて、これって当たり前だけどすごいことだったんだっていうのがわかったんだ。味噌や醤油も祖母の手作りで、野菜も畑で作っていて、それらを使った何品もの料理が並ぶ食卓が毎日3度きちんとあった。

しかも叔父が料亭などへよく行くグルメな人だったので、僕も小学生の頃から何度も料亭に連れていってもらったりしていた。

そのおかげで僕自身気づかない間に、料理人としての基礎を身につけていたし、僕はこの仕事に就くべくしてあの家に生まれたんだなって思うんだ。愛情たっぷりで僕の体の調子を考えながら料理を作ってくれるような家で育った、この当たり前のようなことが、僕の料理人としての哲学に大きな影響を与えていると思う。


<料理に必要なのは技術ではなく愛情>

料理には愛情が大切だとよく話していますね?

すべての料理の基本は愛情なんだ。僕が料理を作るときは、食べる人の母親になったつもりで作る。これが寿将流。料理に技術は関係ない。技術はプロの料理人としてしかるべきものであって、家庭料理っていうのは、愛と思いやりが全面に出た料理のこと。プロの料理っていうのは「さぁ、どうだ」と己を表現した料理で料理人の個性や育ちが出ている。

母親の「さぁ、どうだ」は嫌いな食べ物がわからないように、ひと工夫したというような、愛情が基本。大切な家族の健康を考えたら、食生活に手抜きはできないでしょ。子供が病気がちになるより、健康でいてくれる方がいい。「うちの子は元気だけど、勉強嫌いで」ってよく耳にするけど、勉強嫌いは学校に行っている期間だけで終わる。でも健康は一生涯ついてまわるもの。元気な子だったら最高だよ。


<TPOに合わせて、色々な寿将を演じている>

休日はどのように過ごしているのか?

休日はぜんぜんない。でもそれが苦じゃないんだ。リズムでやってるから、休むとリズムが崩れて困る(笑)。僕はテレビ、出版、店に出ているとき、それぞれに違う、自分が描いた“寿将さん”を演じているんだ。だからお休みしようものなら「あれ、寿将さんってどんな人だったんだろう、もっと毒がなかったっけ」って自分自身でわからなくなってしまう(笑)

休みはないけど、家でも料理はするよ。でも僕は女性が後片付けをしている姿って好きじゃないんだ。僕が子供の時ってお湯とか出ない時代で、母親が一人で洗い物をしているのを見るのが嫌だったんだ。何か自分たちだけが得している気がして、変に気をつかってはしゃぐころもできない。

今でもそう。料理を食べて「あーお腹いっぱい」ってなってくつろぎたくなるのは女性だって一緒のはずでしょ。それなのに女性は片付けなきゃいけないっていうのは、自分は嫌なんだ。だから洗い物は全部僕がやる。

サービス精神が旺盛だし、「おいしい物が食べられる」っていうのが、“寿将ファミリー”だけ の特典だよね。

『生活良好』(有限会社プランニングスポット)4月号 抜粋掲載