やっぱり基本はご飯でしょ!
日本人ほどいろんな味覚を味わえる人種はいないんじゃないかと思う、頭がやわらかい、というか・・・。日本人は、中華料理もフランス料理もイタリア料理も味わえるけど、たとえば逆にフランスに日本料理を持っていっても、何これ?って、受け付けられないことが多いよね。それだけ日本人って、舌がすぐれているのかな?
日常、われわれはご飯を片手におかずを食べる、これが日本の食卓。言い換えれば、ふたつ以上の料理を同時進行で口の中に入れて、一緒にかんで味わうことのできる食べ方ができる、っていうこと。そして、それぞれのおいしさもわかる。これって日本人の味覚の鋭さだと思う。この食卓のトライアングルの中で絶対欠かすことのできないまとめ役が“ご飯”。むこうの人は、基本的にはステーキを口に入れているときは、ステーキだけ、パンを口に入れているときはパンだけだよね。
それを考えると、深くつきつめると焼き魚に合う“ご飯”、とか肉料理に合う“ご飯”ってあるんじゃないかと思う。このあたりをプロの料理人が考えていないんじゃないかな。プロがそこをおざなりにして、あの食材がどうの、海外のどこどこのなになにが何だとか・・・だけにこだわり過ぎている気がする。
俺、里芋の煮っころがしの時は、すこーしやわらかめのご飯が食べたくなるし、焼き肉の時にはあんまりあつあつじゃない方がいいなぁ。焼き魚だったらどお?って聞いた時、その人独自の好きなご飯ってあると思う。そこだけでも“ご飯”に対しては、まだまだ感じる余地があるね。米の産地だけでなく、ご飯の炊き方や温度などと、おかずとの組み合わせを突き詰めたところの“一汁三菜”を考えるべきだよ。薪で炊くご飯は余分な水分を飛ばしてくれるので、固めに仕上がるけど、電気釜で炊くご飯は全体にやわらかいし、香りが少ないからそれを活かした、それに合うおかずってあると思うよ。
米だって、魚沼がいいね、とかササニシキがいいね、とかコシヒカリがいいね・・・だけに終わるような料理人には、俺はなりたくないし、毎年毎年の米のそれぞれのうまさを感じるようでありたい、と思っている。
こうやって米に関して、深く考えられるようになって初めて、京都の料理人連中と向こうはれるようになった、と自負しているんだ。あの人たち、おらが町の料理人の目利き日本一、と言われていて、京野菜とかどこどこの何だとかを品よく、素材の持ち味をそこなわないようにお客さまに提供しているけど、米に対しての思いが案外ぬけているような気がする。
俺は米をうまく炊けるようになってから、店のコース料理の内容と提供の仕方が変わってきた。それまではご飯ものの前までに腹八分、九分にさせなきゃいけない、と思っていたが、今は〆のご飯をおいしく食べてほしくて、逆にその前までの料理をおさえている。ご飯まできっちり食べてもらいたい、そこまで味わってから喜んでいただきたいなって思う。
俺自身、一日一度は必ずご飯、いや三度でも大丈夫。ご飯がないと、もう悲しくなるね。体が疲れているときも、自然とご飯と汁物を欲する。やっぱり・・・ここに回帰する。
「アナザーサイド」(株式会社ソニー・マガジンズ)より一部抜粋掲載
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